『瞼の先生』

 もう十年ばかり前のこと、まもなく新しい年がくるということで、そのガソリンスタンドは新年のために洗車や給油をする人たちで混み合っていた。私が車にガソリンを入れていると、折り重なるように停めてある車の間から、中学生時代の同級生がひょっこり顔を出して云った。
「おい、また同窓会だな」
「うん」
「一年、あっという間だな」
「うん」
「今度の同窓会には、T先生がでるそうだな」
「うん」
 私がただうなづいてばかりいる間に、たちまち彼は車の向こうに消えていった。
 地元の中学校を卒業して二十年余りたつのに、私たちのクラスは毎年のように同窓会を開いていた。その時期は毎年松飾りがとれるまでと決まっていたから、同窓会が近づくたびに、また新しい年が巡ってくるのだった。私たちは年の暮れに町で同窓生に出会うと、「また同窓会だな」を挨拶がわりにして、またたく間に過ぎ去ってしまった一年への感慨をこめるのだった。
 私たちが卒業した中学校は、終戦後、雑木林を切り拓いて建てられた新制中学で、生徒数、百五十人、教師は十人に満たない小じんまりとした学校だった。生徒のほとんどは農家の子どもたちだった。生徒数が少ないだけに、まるでひとつの家族のようななごやかな雰囲気があった。
 この学校を一緒に卒業した五十人あまりの同窓生のうち、地元に残っているのは十四、五人にすぎない。残ったものが交替で同窓会の幹事をつとめているが、何しろ毎年のことだから、そうそう遠方にいる者が駆けつけるわけではないし、先生だってそんなに毎年招待するのはかえって失礼だろうといることで、地元の人間ばかりが細々と酒を飲んでいることが多かった。それだけに、音信不通だった先生がようやく連絡が取れて出席したり、北海道の自衛隊にいるはずの友が正月休みに帰っていてひょっこり顔をだしたりすると、座が浮き立つのである。
 その年の同窓会は、卒業以来初めてT先生が出席するというので、今までになく楽しい会になりそうだった。T先生は人気抜群の先生だったのである。
 私たちが二年生になった始業式の朝、T先生が新任の教師としてさっそうと私たちの前に立ったときの姿を、私は今だに憶えていた。この場合、さっそうというのはありきたりの修辞ではない。まだ戦後の混乱期で詰襟の国民服を着ている先生がいた時代に、T先生は眼のさめるような淡いブルーの、ダブルの背広で朝礼台の上に立った。色白、やせ型で長身、木彫りのようにポマードでかためたリーゼントの髪、外人のように鼻骨の高いほりの深い顔立ちの美男子である。そして何よりも先ず東京の大学を出たばかりで、私たち田舎の中学生にはまぶしいほどの都会の匂いを身につけていた。
 しかし実際に教わってみると、少しばかり様子が違っていた。
 声が大きく猛烈なおしゃべり、調子ばかりよくて無責任、肝心の英語の授業は、大学をさぼってダンスホールへばかり通っていたとかで、生徒も首をかしげるような内容だった。しかしプレイボーイで、学校の郵便受けに差出人の違う何通もの女文字の手紙がいつも先生あてに届いていた。どういうわけか、私がそれを先生のいる教室へ持ってゆくと、先生は答案の採点をしていて、「忙しいからお前ちょっと読んでくれ」という。私はピンクの小型の便箋に書かれたラブレターを、つかえながら大声で読みあげたのだった。
 T先生に関する思い出はつきない。
私たちが野球の練習をしていると、時々隣のバレーコートからボールが転がり込んでくる。先生はそれを女子生徒にただ投げ返すのではなく、いちいちボールを持った手を高く差し上げ、片手は胸にあて、片ひざは地面についた姿勢、つまりロミオがジュリエットにしたような求愛のポーズで手渡すのである。女生徒には、そのポーズの意味はわからなかったろうが、先生が変てこな格好ばかりするので、誰もボールを取りに来なくなってしまった。もっともその珍妙な姿勢はたちまち校内中に流行して、私たちは掃除の時間にはほうきや雑巾を手渡すのにまで、片ひざをついていたのである。
 研究授業というのがあった。郡や町の教育関係の偉い人や先生が大勢視察にやってくる。先生たちのその日の緊張ぶりはこっけいなほどだった。先生によっては当日の授業のシナリオみたいなものさえ作って、綿密な準備をするらしい。ずぼらなT先生はもちろんそんな面倒なことはするはずがなく、ぶっつけ本番だった。ある時、その研究授業のあと、級友が先生が用があるからと云って、級長と私を呼びに来た。教室へ行ってみると、先生は熱湯でもかぶったかのように真っ赤になって怒っていた。興奮のあまり舌をもつれさせた先生の説明によると、先生は偉い人の前で、尻尾 tailを 話すtalkと誤訳してしまったというのである。それはお気の毒なことをしましたね、という他人事のような気分で私は聞いていた。だが、先生の怒りの風向きは私たちのほうに向いていたのである。
「お前ら、おれがあんなに気をつけろって云ったじゃないか」
 神妙な顔つきをしながらも、私は笑いをかみ殺していた。
 その頃、私たちの学校では毎朝授業が始まる前に、全校生徒が揃ってラジオ体操をやっていた。私はそれのレコード係だったことがある。職員室の隣の三畳ほどの放送室に古ぼけたアンプが置いてあった。そこで私はまず行進曲を流してそれを合図に校内に散らばっている生徒を朝礼台の前に整列をさせ、ころ合いをみて、ラジオ体操第一の盤の上におもむろに針を下ろすのである。体操のレコードは決まっていたが、行進曲は時々気分を変えるために交換するように云われていた。ある日私は、今まで見たこともない行進曲の盤を箱の底から探し出して、それをかけてみた。その曲はそれまでの力強い行進曲とは違って、甘ったるい感じがした。ところがまだ曲が終らないうちに、女の先生が血相を変えて飛んで来て、私を突きとばすと、アンプのスイッチを切った。
 私は何が何だかわからなかった。T先生にも叱られるのではないかと危惧しながら教室に戻ると、先生は手をたたいて喜んでいて、私を迎えた。
「お前もなかなかやるじゃないか。ラジオ体操の時間に結婚行進曲をかけるなんて、普通の人間にはできないこった。お前まさか、この学校の男の生徒と女の生徒を全員結婚させようなんて思ってるんじゃないだろうな。だけどおれとサチ子をくっつけようたって駄目だぜ。おれはこんなの嫌だからな」
 先生は両手で胸の前に大きな二つの円を描いて、私を突きとばした女の先生の大きくて重そうなオッパイの形を真似てみせた。
 同窓会の幹事といっても葉書一枚出すわけではない。私たちは、幹事から知らされた日時と場所を適当にしかも確実に云い次いでゆくわけだが、T先生出席の噂はたちまち同級生に伝えられて、その年は特に参加者が多かった。人を煙にまくような話術との再会を、誰もが期待したのである。
 だが、二十年ぶりに会場の日本料理店に姿を現したT先生は、私たちの想像とはあまりにも違っていた。ドブネズミ色のしょぼくれた感じの地味な背広を着て、大げさな身ぶり手ぶりでしゃべりまくる昔の面影はどこへやら、聞きとりにくい小さな声でボソボソしゃべっている。話題も生徒の進学指導など、かたい話ばっかりでちっとも面白くない。あんなに背が高く大柄に見えた先生が、意外に小じんまりした体格なのにもびっくりした。酒が入れば昔のT先生に戻るのではないかと期待したが、いっこうにその気配はない。
 私たちはすっかり調子が狂ってしまった。期待を裏切られたせいか、同窓会は妙にしらけたムードになりつつあった。
「先生、頼むから何か面白い話してくれよお」
 泣き上戸のMはもうワイシャツの袖で眼がしらをこすり始めていた。そこでかなりアルコールの入っていた私は、我慢ならず立ち上がって叫んだ。
「T先生、どうしてそんなにまじめくさった先生になっちまったんだ。おとなしい先生なんか誰も会いたくない。来年から来ないでくれ」
 すると先生は、わたしより大声で怒鳴り返してきた。
「ばかやろう。おれだっていつまでも若くねえんだ」
 ようやくT先生らしくなったっとみんな手をたたいて喜んで、座の空気はほぐれてなごやかなものになった。だが、先生が大声を出したのはその時だけだった。
 おれだっていつまでも若くない、という先生の言葉には実感があった。私たちが教わった頃、先生はまだはたちを過ぎたばかりだったのだ。人生や家庭や社会に対する責任も、現在よりははるかに軽かったはずだし、それだけにこわいものなしで自由に振舞っていたのだろう。
 二十年という歳月は決して短いものではない。先生が変ったように私たちも変った。未完成のどことなく頼りなげな体を擦り切れそうなサージの学生服で包んでいた中学生たちは、腹の出た堂々たる中年になっていた。クラス一番の美少女だったY子も、眼もとに愛らしさを残しているとはいえ、眼尻のしわと頬のたるみはどうしようもなかった。自分たちがそんなに変ったのに、T先生だけが昔のままでいると思っていた私たちは、先生に関しては二十年の年月をうっかり忘れていたのである。だがそれがはっきりわかったにしろ、今のT先生より昔の先生の方がよかったとなつかしんだのは、私だけではなかったとおもう。
 同窓会の帰途、私は友人の運転する車の助手席で揺られながら、酔い痴れた頭で、ふと以前テレビの劇場中継で観た「瞼の母」の一場面を思い出していた。それは、島田正吾演ずる主人公の番場の忠太郎が、幼い頃生き別れになった母親を苦労して探しあてたところ、冷たくあしらわれて、胸の中に抱いていたイメージと実際の母があまりにちがうと嘆く有名な場面だった。
「おいらの知っているおっかさんはこんなおっかさんじゃねえ。こうやって二つの瞼を閉じると、やさしかったかあさんの顔が浮かんでくらあ」
 たしかこんなようなセリフがそこにあったとおもう。もし忠太郎が私たちのクラスにいたとしたら、こんなふうに云うかもしれない。
「T先生、おいらの知っているT先生はこんなにまじめで、ちゃんとした先生じゃねえ。こうやって二つの瞼を閉じると、でたらめで、おっちょこちょいで、調子よくて、女好きで、校長先生に怒られてばかりいて、それでも、生徒には仲間のように親しまれていた若いT先生の面影が、瞼の裏に浮かんでくらあ」